映画「キューポラのある街」★★★☆

吉永小百合のための映画。
一昔前の少女マンガの主人公のキャラクターそのままではあるが、吉永小百合が演じることで今観ても魅力的。
この時代、左がかっていることは貧困と不可分のことであったのだなぁ。
当時の大多数の人々は貧しかったのだから、多くの人々にとって左気味であることは生活そのものだったのだ。
父親が職人であることに固執して、組合を毛嫌いするシーンがあり「おや?」と思わせるが、結局は最後に組合の力で職場復帰を印象付けるための伏線でしかなかった。
この親父は「自己中心的」と散々罵られる(笑)がこの時代実際にこんな言葉を使ったのだろうか。
朝鮮人一家の帰国シーンが印象に残る。
悲劇はあくまで家族との別れであり、北に帰ることではない。
当時の北朝鮮は貧しい人々にとって新国家建設の夢の国であったのだなぁ。
浜村純がちょい役だがはまり役。
最近は経済より政治を上とする声をたまに聞くが、この映画を現在の眼で観れば、政治は経済の結果であることがよくわかる。
クレージーの映画と対極にあるようなこの映画で「スーダラ節」が流れているのが印象的だった。
ラストシーンの広く輝く道はあまりにも直接的なアナライズ、監督一作目の希望も重なっているのか。
ともあれ、”この映画の”吉永小百合はすばらしい。